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真冬の海は好きだ。人も居ないし、ごちゃごちゃしてない。ザザーンザザーン、唸るような小波の音は変わらないのに何故か静かだ。だから好き。
青空ではなく灰色の空、グレイスカイって言うらしい暗鬱とした空が広がって、冬の巻層雲が悠々と泳いでいる。反して海は静かに青を沈めていた。真夏にはまるで鏡合わせの様に空にも青、海にも青と色が映り、どこが海でどこから空なのかその境界線があやふやになるのに。真冬の海は真逆の色彩を上と下に反映させるから、一護は好きだと感じた。だから、どこに行きたい?なんて聞かれた時に迷う事なく「海が見たい」と答えたのだ。彼は、「海?こんな寒いのに?」苦笑しながらも器用に車のキーをクルクル回して出かける準備をした。
ザザーン、ザザーン。
南国の観光地には負けるが、灰色の海も一護は好きだった。どんなに汚れたとしても波打っている以上、この海は生きているのだと感じる。車から降りた瞬間に吹いた冬の風はとても冷たい。ワン!足元で鳴いたゴールデンレトリバーはお利口に座ったまま、一護が進むのを今か今かと待ちわびている。

「リード、外しても良いかな?」
「誰も居ないんだし、良いんじゃない?」

車に鍵をしながらマフラーに顔を埋めながら浦原はそう言う。真冬に生まれた冬男の癖に、彼は一護よりも寒がり。年中冷えた指先を持ってるくせに根は暖かい男は随分と柔らかく笑うようになった。寒いっスねえ、分かりきった事を柔和に笑みながら伝える男に一護も笑ってみせる。
ワン!ワン!リードを外して貰ったコンは大はしゃぎで海へと走っていく。都会に慣れてしまった彼はこんなに大きくて広い海を見た事がないのだろう。ねえこれなに?これなあに?大きいよ!大きい水溜りだよ!まるでコンがそう言いながらはしゃいでるみたいで一護も楽しくなる。
履いてた黒のムートンブーツを脱いで靴下を脱ぎ、履いてたジーンズの裾を折り曲げて素足を真冬の風に晒す。嘘でしょ、浦原の呟きにニカリと笑いながら一護もコンを追いかける様に海へと走り出した。
ぱしゃんと跳ねては素足にかかる塩水は刺すように冷たい。ぞわわと背筋にまで冷たさが走り、一護は叫んだ。

「つめてえ!」
「当たり前でしょう」

コンと一緒になって足元に迫る波から逃げ、つかまり、逃げを繰り返してる一護を後ろから見て笑う。裾をあげて露にした箇所から見える鎖のタトゥーが何故か重たく見えてしまい、笑いは苦笑にしかならなかった。会った事もない彼は一体、何を思い一護に鎖を与えつけたのだろうか。一護は自分が死なないようにと言ってたが、少しニュアンスが違うように浦原からは見えた。少なからず独占欲の類が込められて彫られているであろう鎖のタトゥーは一護に似合っていて、けれどどこか不釣合い。自由に駆け抜ける足は鎖の他、様々なモチーフで描いて彫った色彩が肌色を埋め尽くして見えなくさせているが、唯一真っ黒の鎖だけが異様に目だっているから、彼が自由に動けないと感じさせてしまう。圧迫感だ、あのタトゥーからはそれしか感じられない。
浦原は空を仰ぎながらグレイスカイに彼の人を見た。
"オッサン、見てんスか?彼、凄く楽しそうじゃない?"
凄く、幸せそうじゃない?
皮肉たっぷりに告げてフとニヒルに笑んでみせる。こんな事をしでかす自分が馬鹿みたいだと思うくらいには、浦原は一護を愛している。
ワンワン!ゴールデンレトリバーが吠える。一護が笑う。真冬の誰も居ない寂しい海、寂しいグレイスカイ、静かな海辺なのにも関わらず何故か暖かく感じてしまう。きっと、このワンシーンに一護が居るからだ。
今、目前で年甲斐も無くはしゃぐ一護。
裸のままベッドブレックファーストのコーヒーを飲む一護。
真夏の空に上がる花火を見上げる一護。
秋の木漏れ日の中でコンを抱き締めながら眠る一護。
春のセンチメンタルな夜に浦原を求める一護。
ああ、なんだってこんなに。いつの間にか浦原の心いっぱいに、体いっぱいに黒崎一護と言う人物が詰まって爆ぜるくらいいっぱいいっぱいにさせてしまった。嬉しいのに切ない、センチメンタルな気持ちになる真冬の海が見せる色が浦原の金色を突く。ちくりと小さい痛みに反射神経が動いて片目を細めて見る。
歪んだ視界でも尚、歪む事のないオレンジが更に浦原の胸を締め付けてしまう。
ああ、なんだってこんなに…。
黒いロングコートの前を開いて一護を背後からすっぽり包み込む。ふわり、鼻先をくすぐったシガレットの香りと彼の愛用するパフュームの匂いが一瞬にして一護を包み込んだ。

「…なに?」

ポケットから手を出す事もせず、コートの中に一護を閉じ込めた浦原へ声をかけても肩口に埋まったままの頭は微動にしない。

「あったけえ…」

小さく呟いた言葉は小波にかき消されるが、きっと浦原には伝わっている。そう確信したのは抱き締める力がより強くなったから。柄じゃない事をやってのける男にフと小さく笑って、肩口と頬をくすぐっている金色に小さくキスを贈る。

「帰っか?」
「…シチュー食べて帰りましょうよ。美味しい店がある」
「お、良いな。コンおいで、帰るよ」

キスを貰ってやっと体を離した浦原は一護の赤くなった鼻先にひとつだけキスを送って車へと歩み始める。
ザザーン、ザザーン。背後で唸る波音は少しだけ寂しげ。浦原はきっと、この先何十年経とうがこの日の海を忘れはしないだろう。












真冬の海に見たセンチメンタルラブ




あきゅろす。
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